頑張れ‼️Cガール‼️Cボーイ‼️の日記

人間は己の才能を活かし、役割を果たすために生まれてきた。 世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのかと問うてはならない。 ひたすら進め。

偏差値の本質・不思議・欺瞞。そして、 中央大学に進学できるのは全てに附属のみにすることPART……忘れた♪  

偏差値の実体を理解すれば、偏差値があまり学力判定の尺度たり得ないことが分かる。

そもそも、模擬試験の平均点や標準偏差は模試を受ける人のレベルや問題の難易度によって大きく変わってくる。 偏差値というのはあくまで相対的なものだ。

仮に東大合格者数で毎年トップ10に入る生徒1000人と、偏差値30の超バカ高校の生徒5000人が模試を受けたとする。超バカ高校の生徒に問題など解けるはずがない。すると平均的は限りなく0に近づく。結果として、その超進学校の生徒達の偏差値はとてつもなく高い値になる。

だからといって、その超進学校の生徒達の学力が極めて高く、どんな大学でも合格可能ということにはならない。
偏差値というのは相対的なものであり、問題の難易度や母集団のレベルで変わってくるから絶対的な数値ではない。だから、各予備校の偏差値は同一性がないんだ。だってバラバラだもん。いったいどれを信じりゃいいんだよ!って思わない?

それに、予備校に納金して意図的な偏差値操作を依頼している大学もある。どう見ても偏差値が不自然に変動してる大学ってあるじゃない。

予備校講師がある模試で、中大法学部の偏差値が慶應法学部より高かったのに、人為的に偏差値を捏造し、中大法学部のランクを慶應法学部の下に位置させたというのは有名な話。

難関大学模試で合格圏内にあった受験生のほとんどが不合格だった学部もあったしね。

また、5教科7科目の偏差値70と、1教科、2教科の偏差値70なんて根本的に違うに決まってるじゃん。

1教科で偏差値70の大学が3教科では偏差値62.5とかあったよね。これが難関国立のドッキング判定になれば……。もう推して知るべし。もはや意味がわからない。

こんな不確かな数値を後生大事にする方が明からにおかしい。

偏差値というのはどう考えても弊害の方が大きい。それが分かっているから、先進国は偏差値を導入しないんだ。ちなみに、偏差値なんてあるのは日本だけだからね。
恐らく近い将来、偏差値は受験の世界から消滅すると思う。中大もさっさと予備校の偏差値ランキングから撤退した方がいいよ。信憑性のない数値に大学の尊厳を委ねるなんて恥以外の何物でもない。

それに、大学入学時と卒業時の学力は全然違う。4年間どれだけ勉強してきたかで、卒業後の実力には雲泥の差が出る。

中大出身のロー生が、一橋と慶應で第一派閥。東大と早稲田で第二派閥を形成しているのが何よりの証拠でしょう。

中大の社会実績がMARCHの中で突出してるのが何よりの証拠でしょう。

入口の数値にそこまでこだわる必要なんてある?ないでしょう。

偏差値教育に毒されず、中大の理念を具現化した学生を育てるためにも全てに附属校化は極めて有意義。

そのアイデアが以下のアドに記述した俺の記事だ。
https://chuouniversity.hatenablog.com/entry/2018/08/06/220921

中大の歩留まり率は約3分の1だ。
3分の2合格者には入学辞退される。
要するに、滑り止めにする受験生の方が多数派だということ。

もちろん入学辞退者などいない方がいいに決まってる。

だが、現行の入試形態のままだと、滑り止め入学者や不本意入学者を一掃することなどできない。

だから、中央大学に進学できるのは、全て附属出身者だけにしてもいいのではないかと思うんだ。

私立学校の出自は、その建学精神に根ざした人物を育てあげ社会に供給するというのがその根本理念だ。

かような人材を育てあげるために、滑り止め入学者や不本意入学者がいてもいいのか。もちろん、いていいわけがないんだよね。

中大の理念に共感し、中大を第一志望にした生徒達を中大も欲しいわけだ。

じゃあ、かような生徒達を現在の大学入試制度で入学させることができているのか?今の所、できているとは言い難いよね。

だったら、中央大学の理念に共感し、中央大学を第一志望にした子供達に入学してもらえるような入試制度に変えればいい。

それに、日本の大学受験のための勉強は本人の真の学力を増強するのにさほど役に立たない。難関大学限定の話だが、今の大学入試制度で唯一の利点を挙げるとすれば、事務処理能力の高さが身につくこと。これ以外にないよ。

附属での学習は、受験テクニックなどの枝葉末節の受験技術を学ぶことに時間を奪われず、読書という学力の本筋を学ぶことに時間を注力できる。

もっとも大切な読書のみならず、スポーツや文化活動、幅広い友達付き合いに時間が注げるので、頭でっかちな人間にならない小・中・高・大学生活を送ることができる。

また、大学だけの4年間という短期間では、強い同窓意識や結束力や愛好心が育ちにくい。だから、中央大学に入学できる生徒達は全て小・中・高の附属出身者で固めた方がいいのではないかと思うんだ。

これが附属の意義であり最大の利点でしょう。中大附属でこういう生徒達を育てあげる方が中大にとって遥かに有益だ。

18才人口の減少は、年々深刻さを増している。今のうちに行動すべき。

http://between.shinken-ad.co.jp/univ/2017/09/kihoncyosa-17suikei.html

そもそも、アメリカの大学には、全国一斉の入学試験がない。また個々の大学や学部が入試を設けることもない。日中韓のようなペーパー試験で合否を決めるんじゃなくて、下の6つの要素を満遍なく考慮して総合的に合否を判定する。もちろん偏差値などない。

1学校の成績
2エッセイ
3推薦状
4課外活動
5テスト
6面接

ほぼAO。日本でバカにされている
A(H)O入試。アホでもオーケー入試だ。

恐らく日本の入試制度は、古代中国の科挙の影響を強く受けているから現行のような入試形態になったんだろうけど、ハーバードやオックスブリッジ初め、世界の超一流大学はあそこまで厳しい入試を課さない大学の方が多数派だからね。ということは、あまりにも厳しい入学試験はデメリットの方が多いと判断されてる証拠なのだろう。

ノーベル賞の受賞者にしてもアメリカやイギリスが突出してるもんね。ドイツやフランスの入試制度も調べてみたけど、日本に比べてはるかに楽だよ。
入試制度の厳しい中国の受賞者なんてたったの3人。韓国に至っては0だ。
http://factboxglobal.com/nobelprize-country

アメリカは優秀な研究者を他国から金で引っ張ってくるっていうけど、338人の全ての受賞者がそうなわけないからね。
 
恐らく厳しすぎる入学者選抜は利点が少ないと考えているから入試制度を楽にしている。で、入学後に死ぬほど勉強させる方がメリットが大きいから欧米の超一流大学は入試が楽なのではないかと俺は結論しました。

憲法26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

本来、子供達は能力に応じた教育を受けるべきであり、その権利も日本国憲法に定められている。公立と違って私立だったら憲法26条の実践も容易だしね。受験に疲れてないし、早くからその生徒の特性にあった教育を集中的に施すことができるよ。

余談だけど、入学時点では東大生の方が、ハーバードやオックスブリッジの学生より学力は上だからね。調べた限りではドイツやフランスの超一流大学の新入生の学力より東大の新入生の方が上です。

欧米の大学が何でもすごいわけないからね。トップクラスの学生のレベルは日本も世界も変わらない。ただ、日本の大学生は勉強しないが、世界の超一流大学の学生はすごく勉強する。これは間違いのない事実です。
勉強の総量が世界の超一流大学の学生と比して足りなさすぎるから、日本の大学生は世界で通用しないと言われるのです。大学入学時点の学力でいえば、日本の一流大学の学生の学力は世界トップクラスと言っていいと思います。

日本の大学生で入学後すぐに、司法試験や国総試験や公認会計士試験の合格を目指して、朝から晩まで毎日勉強を継続する大学生がいるでしょう。海外の超一流の大学生達は、ああいう学生だらけだということ。だからトップクラスは変わらない。

日本の典型的な大学生は、

・講義に出ない
・試験前はノートを借りて乗り切る
・その他は遊び、サークル、バイト三昧

だよね。

海外の超一流大学には、こういうゴミのような学生はいないということです。受験で学生が疲れていないから勉強熱心だというのもあるでしょう。日本の学生は受験に疲れてるから爆発して勉強しなくなるというのもあるんだろうね。きっと。

どう考えても、全てを附属校化する方が、今の中大よりはるかにメリットがある。そう思わない?

中央大学のブランドアップのためには、司法試験、公認会計士、国家公務員総合職試験等の受験サポートを徹底して、合格者数や合格率を上げること。これが最も効果的なブランドアップ政策になる。これらの結果に連動して民間実績も間違いなくアップすることは必然だ。

じゃあ、これらの数字をアップさせるにはどうしたらいいか?

それは、生徒達になるべく早い時期からこれらの試験勉強をスタートしてもらうこと。これに尽きる。

全て付属校化すれば、それこそ司法試験や国総試験や公認会計士試験等の勉強を早くからスタートする生徒達が多くなるから、合格者数や合格率に寄与するその効果たるや甚大になるでしょう。

司法試験や公認会計士試験は、確か小学生でも受験できるからね。

小学生くらいから資格の勉強をスタートする生徒達も多くなるだろう。そんなに早くから資格の勉強を始めてどうするんだ、と言われそうだけど、早いこと合格するに越したことないからね。また、記憶力という側面を考えれば大人は子供には敵わない。この特長を活かさない手はない。

中学生で公認会計士試験に合格して、高校生で司法試験に合格して、大学生で国家公務員総合職試験に合格すればいいじゃない。もう無敵になるよ。

 

この順番にしたのは、まず司法試験より公認会計士試験の方が簡単だから。また、国総試験の受験資格は20才からだから。

そして、この3つの試験の難易度は、

司法試験

国総試験

公認会計士試験

の順。

この3つの試験に共通するメリットは試験形態が似ているということ。全て短答と論文。だから合格する毎に勉強マニュアルと知識を厚く積み上げることができる所にアドバンテージがある。

この3つなら公認会計士試験からスタートするのがベスト。

公認会計士試験には、司法試験との重複科目で、企業法(会社法)と民法と租税法があるのがメリットだ。

さすがに中学生からでも受験できるとはいえ、最難関で抽象度の高い司法試験からのスタートは速断に過ぎる。

最も合格しやすい公認会計士試験に合格することで自信にもなるので、司法試験の前哨戦としては公認会計士試験が打ってつけだ。また、弁護士や国家公務員の仕事は、会計の知識がすごく役に立つから、公認会計士の試験に合格してるってだけでかなりの強みになる。

高校生になったら司法試験にチャレンジすること。もち予備試験→司法試験の順で。
公認会計士試験の勉強で得た資格試験マニュアルがもちろん活きてくる。会社法民法と租税法の負担も減るからいいね。

 

ただ、司法試験合格者が公認会計士試験を受験する際、科目が免除されるというメリットがある。

短答式試験は全科目免除

論文式試験会計学(財務計算・財務理論・管理会計)、監査論、租税法の3科目のみに合格すればよい。

6割免除される。

司法試験から勉強する人にとって、この免除はありがたいが、公認会計士試験から勉強を開始する中央大学附属の中学生にとっては
非効率だよね。公認会計士試験に合格したからといって、司法試験の科目免除はないからだ。

中学一年生から
司法試験→公認会計士試験の順に勉強すればいいが、いかんせん司法試験は難しい。故に、脱落者が公認会計士試験の比にならないほど多くなるだろう。ひいては中央大学のブランドアップのネックになってしまう。

脱落者を少なくするためには、公認会計士試験からスタートするのがベターなのは言うまでもない。

あと、公認会計士の非効率な点として、もう一つある。それは、

・2年間の監査実務経験

が必要ということだ。

こんなのやってらんない。

司法修習をプラスすれば3年かかる。

これはもう法律を書き換えないとダメ。これは法改正した方がいい。こんなのに3年も使ってられない。

司法試験合格者と公認会計士試験合格者の司法修習と監査実務をドッキングさせて、1~1年半で終わるようにしたらいいと思う。どっちも国家資格なんだから、何とかなるだろ。

法律にも会計にも詳しい優秀なジェネラリストは、国家の繁栄に絶対的に必要な人物。

だから、このダブルライセンス資格者が短期かつ効果的に修習実務を終了できるように法律を書き換えるべきだろ。これは絶対的に国会で議論すべき事柄。

 

話を戻す。

 

そして、大学生になったら国総試験にチャレンジすること。勿論、高校時代に司法試験に合格した生徒はすぐに国総試験の勉強をスタートしよう。これはもう楽勝で合格する。司法試験より難易度は落ちるし、重複科目もありまくりだし、テクニックも洗練されているから。

また、こうすれば国総試験合格者数は一気に跳ね上がって、私大の合格者数ですぐにトップになる。公認会計士試験合格と司法試験合格の下地があれば楽勝だからね。

 

進学校というのは、要するに

【東大&医学部専門学校】

なわけだ。だったら、それ以外の分野で勝つことに注力すべき。東大卒でも、司法試験、公認会計士試験、国家公務員総合職試験に合格しているトリプルライセンス資格者などいない。

仮にいたとしても片手で数えるくらいしかいない。

中学入学時からこれらの勉強ができる附属の生徒達は、超進学校に比べて圧倒的なアドバンテージがある。その優位性を活かさない手はない。

 

現在の附属の生徒数は毎年約1300人。一般受験との合算なら軽く200人以上の合格者を輩出することは確実。全附属校化すれば、東大の合格者数も余裕で超す。

高校生時代の司法試験が一番ハードになる。ここを乗り越えましょうね。

もちろん、大学の司法試験受験団体のマニュアルを中大附属校に伝授すること。
国家公務員試験受験団体のマニュアルも、経理研究所の合格マニュアルも同様に。
 
当然、省庁への就職率・就職者数もよくなる。

国総は基より、司法・会計の資格があるってことで、就職では間違いなく武器になる。東大でもここまでの資格取得者はほとんどいない。

司法試験や国総試験は東大入試より難しいから、就職活動の際、それも有意義な価値のカウントに加味される。みなさんが採用者側になったら、トリプルライセンス取得者に対して【むむむっ!】ってなるでしょう?

優秀であれば、省庁へ就職した際、国費留学生として海外の超一流大学院へ入学するためにも有利だ。
留学するためには大学の成績が考慮されるけど、この3つの難関試験に合格するような人物であれば、大学の成績はオールA、オールS、全優に決まってるからね。資格取得の勉強はそのまま大学の成績へ反映されます。

【勉強は選択の幅を広げるためにするもの】

この言葉の意味がよく分かるよね。

また、焦る必要もない。国総試験の受験年齢は20才からなので、大学2年までに公認会計士試験と司法試験に合格できればいいからね。中・高・大学2年までで8年ある。別に中・高の6年間と考える必要はない。

人柄だなんだのと世間は言うけど、能力もないのに人柄も何もないでしょう?
AI化によって会計士や弁護士や公務員の仕事は淘汰されるっていうけど、これだけ優秀な人間が淘汰されるわけないからね。

社会人として必要なスキルは、創造力と問題解決能力だと言われいるけど、創造ってのは既存の知識やシステムの組み合わせ。もちろん教養が膨大であるほど創造性の質は担保される。教養が乏しい人物に創造力なんてないよ。

問題解決能力にしたって、これらの試験は全て問題解決を基盤にしている。むろん、この3つを組み合わせることで質の高い問題解決方法を導き出すことができる。

これら3つの試験を勉強することで創造力も、問題解決能力も自然と身につくようになるからね。

また、これだけの教養があれば、世界がAI化に移行する際も、適切な選択と行動をとることができますよ。それに、これだけ頭がよくて本は一冊も読まないなんて人物はいないでしょうから。

高く評価して欲しいなら、価値の高い自分を作り上げること。価値もないのに高く評価してくれなんてただ傲慢なだけ。逆の立場になったら誰だってそう思うでしょう。

 

それに、これらの難関資格試験でライバル関係にある東大や京大や一橋志望の受験生は、大学入学後に一から勉強する羽目になる。小学生から勉強をスタートしてる学生と、大学から勉強をスタートさせる学生の知識量やテクニックの情報幅は甚大だろ。追いつけるわけがないよ。

こういう面からも全附属校化はメリットがあるよね。

中央大が全附属校化して、早稲田や慶応の附属がどう出るかがあれだけど、中央大の多摩キャンパスを全寮制にすれば負けるわけないからね。全寮制にしなくても勝てるけど。それに早慶の立地では全寮制になどできるわけがないよ。早稲田所沢キャンパスと慶応SFCがせいぜいだろ。

私立大学は、その出自がオリジナルである以上、日本一、世界一を目指さなければならない。今の入試形態で日本一、世界一を目指せると思う?

・合格者の3分の2が入学辞退する。 
・入学者も全てが第一志望ではない。

これで本当に日本一、世界一を目指せると思う?思えないでしょう。

俺のアイデア通りにすれば、

・入学辞退者がほぼ0になる
・入学者はほぼ第一志望みたいなものになる
・中大独自の教育を早くから実践することができる
・司法試験や国総試験や公認会計士試験等の合格者数や合格率を飛躍的にアップさせることができる
・その他の利点はアドレスに書きまくっているから割愛

もうこの滑り止め大学という状況をいい加減、脱した方がいい。

単純に自分達の愛する母校が滑り止め扱いって嫌じゃない?入学者全てが本命の方がいいじゃないの。

俺のアイデア通りにすれば、大学の社会実績のみが評価基軸になるよ。こうした方が絶対に中央大にとって全てが良くなると思う。

小中高大一貫の弊害としてよく多様性の欠如と同質化の悪弊が語られるけど本当にそう?

人間にとって一番大切なのは【心の安定】だ。要するに【コンフォート・ゾーン】にいることが何よりも大切なんだよね。気心の知れた仲間達といることが何より大事なんだ。

みなさんの周りでも附属出身の学生は、サークル、バイト、遊び、試験対策と縦横無尽でしょう。あれはもう附属中・高の段階でネットワークができていて、勝手が分かりすぎているから、迷いなくなんでもスムーズにできちゃうわけだ。彼ら彼女らが何でも効率的にできるのは附属出身だから。

俺みたいなバカ高校出身だと同じ高校の連中なんて一人もいないから、いろいろスムーズにできなくて大変なんだ。人間関係を作るのも時間がかかるから非効率なんだよね。大学の情報も皆無なので何でもスムーズにいかない。時間のロスも大きければストレスも感じやすい。

だから、そういう面からも全附属高化はメリットはあると思うんだ。とにかく何でもストレスなくスピーディーにできるから。

確かに老若男女、多様な人達と交流するのは大切だけど、費用対効果の観点から考えれば無駄でしかない。有益な時間を潰してまで、学生文化・社会経験・多様な経験に時間を浪費することにそこまでの価値などないよ。

それに、キャンパスライフの中でも充分な人間関係はあるよ。
語学のクラス、サークル・ゼミ・炎の塔・その他の会合の先輩後輩関係、バイトの仲間達等々。

それに寮では、都内の附属、神奈川、札幌、宮城、新潟、秋田、千葉、愛知、神戸、広島、福岡、鹿児島、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、中国、アメリカ、ブラジル、南アフリカ、ロシア、オーストラリア、インド出身の学生達と交流できるからね。

大学生のうちはこれだけで充分でしょう。

勉強時間を潰してまで、学生文化や社会経験や多様な経験に大事な時間を投資する意味なんかないよ。

全てを附属校化すれば、大学と附属の連携も全てにスムーズにできるし、情報交換も容易だし、あらゆるイベントもやりやすい。双方、勝手が分かっているってことは何でもスピーディーに無駄なくやりやすいということ。このメリットは計り知れないと思う。

大学教授もここに書いたように全て中央大学出身の先生にすりゃいいじゃん。

渥美東洋式司法試験最短最速合格マニュアル】
https://chuouniversity.hatenablog.com/entry/2018/06/21/234624?

自身の偉大なるメンターを見つけるためには絶対的に膨大な読書が必要。膨大な書籍を読んでもらうためには附属化が一番。大学受験勉強でメンターなんて見つかるわけないよ。

また、勉強の基本たる、

「読む力」「書く力」「聞く力」「話す力」

これらを全て実践できるのは、時間に余裕があって、こだわりの教育を実践できる附属だけだもんね。

膨大な本を読んだ組(A)と大学受験組(B)で比較すると、

「読む力」A
「書く力」B
「聞く力」A
「話す力」A

だからね。

「書く力」さえ訓練すれば附属の圧勝じゃないの。

どう考えても全附属校化の方がメリットがある。いや、比較にならないほどメリットの方が多いと思う。

手始めに、多摩キャンパスに、

中央大学附属初等院
中央大学附属中等院
中央大学附属高等院

を作ったらいいじゃない。

ついでに、

中央大学附属保育園
中央大学附属幼稚園

も作っちゃいましょう!

後楽園の中央大学高校が移転しないなら、5番目の附属を作ればいい。

もちろん、高校野球高校サッカー吹奏楽部に力を入れること。

 

附属は大学内にある方がいい。大学に集約される先端技術、先端知識が容易に手に入るから。また、スポーツ系・文化系問わず、その技術と知識を有意義に活かせる設備が大学キャンパスにはあるからね。

 

附属は学力を担保するために、八王子の初等院以外は中学受験にするとして。

中学受験料は仮に50000円とし、現在の定員を充足するには、

6000×50000=3億。

地域格差があるから、受験倍率は仮に5倍とし、

3×5=15億

さらに、

高校受験料(個人的には高校受験は反対)、初等院受験料、資産家の増加による寄付金増額の見込み、愛校心の醸成による寄付金増額の見込み、現在の大学受験料の割引の損失も加味すれば、今の大学受験料収入と寄付金額に限りなく近づいて、ともすればトータルで目下の大学受験料収入(約30億)も、寄付金額も超えると思う。

 

現行の入試制度を継続しつつ国内外に附属を徐々に充実させていくというやり方が基調になるだろう。

本当に日本一、世界一になりたいなら全附属校化は絶対だと個人的には考えます。

極端かなぁ。

長くなったのでこの辺で♪