頑張れ‼️Cガール‼️Cボーイ‼️の日記

人間は己の才能を活かし、役割を果たすために生まれてきた。 世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのかと問うてはならない。 ひたすら進め。

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【読書の効用】アメブロからのコピペ。読んでねん♪

「大学生が一番やるべきことは本を読むこと」

と言われますよね。

どうしてそのように言われるのでしょうか?「本を読む意味」について、ちょっとアドバイスをしたいと思います。

その答えは、みなさんが実社会において多様な背景を持つ他人と共存しながら生きていかなければならないからです。

人間が存命中に経験できることなんてたかが知れていますよね。ですが、みなさんは社会生活を送る中で、自分が経験したことのない多様な背景をもつ多くの人達との出会いを繰り返しながら生きていかないといけません。たかが知れた経験しかない個人が、多様な経験を持つ多くの人達と関係性を築きながら生きていくのが人生ですよね。

ですから、自身の中に自身の経験により構築できないものをインプットしておく必要があるわけです。読書という間接的な経験を通して得た知性を内在させ自身の疑似経験を拡大させること。これが読書の意義です。

人間と言うのは知識と経験の集合体ですよね。今あるみなさんの人格を形成しているのは、みなさんがこれまでに経験を通して蓄積してきた産物によるものです。そして、その経験というのは全てに既知既存のものですよね。要するに、全ての人間を形成しているのは全てに他人から教わったものであり他人の真似事なのです。みなさんは生涯を通して真似事を磨き倒して行くことになります。人間というのは真似事の集合体なのですから、優れたものや高度で深遠なものを真似すれば人生は充実していきますよね。その優れた真似事を最も効率的かつ効果的に修得できるのが古典と言われる名著なのです。
ちょっと脱線するけど、人間なんて所詮は他人の知識や思想で構成されてるだけだからね。自分なんて全部他人の寄せ集め。それが人によって経験が様々だから個別のものになる。よく、個性が大事だのなんだと言うけど、寄せ集めなんだから個性なんてあるわけないからね。自分なんて他人の真似に過ぎないんから。「自分は個性的な人間だ!」なんて言ってる奴は、自分が全てパクリの産物だってことを知らないだけ。

ああ、もう分かっていると思うけど、血液型性格判断なんて何も関係ないからね。
人間は、生まれつきの性格も育った環境も見てきたものも知識や教養も全部違う。外国に至っては言葉も宗教も価値観もまるで違う。同じ人間なんて日本にも世界にも一人もいやしません。性格を4つのパターンに分類すること自体が異常だからね。

統計学というのは最低95%以上の合致で信憑性有りと認識されます。
血液型性格判断方法に95%以上の信憑性なんてないからね。

挙句の果てには、星座を足したり、親の血液型を考慮したり、都道府県で異なると宣ったり、兄弟姉妹の長子・中間子・末子で違うとか言ったり。

血液型性格判断なんて、もうウンコみたいな小理屈でさも真実めいた定説を脚色してるだけ。
学会でも満場一致で「血液型は性格に関係なし」と結論されています。

大学生にもなって血液型性格判断を妄信するなんてお里が知れるってもの。恥ずかしいから血液型の話はやめましょう。てか、もう日本人のほとんどが血液型の話には辟易しています。会話のきっかけなら良いという風潮ですが、それすらも止めた方が賢明です。

テレビを初めとしたマスコミがやたらと血液型を話題にしたがるのはお金儲けのため。
日本人は血液型の話題が好きでしょ?好きならテレビを見る人が多くなるでしょ?視聴率がアップするでしょ?テレビ局はお金がいっぱい儲かるでしょ?本や雑誌にしても同じ論理です。

大学生にもなってあんな恥ずかしい本は絶対に買わないこと。

それから、血液型性格判断の性格に、本当は自分の本質と反するのに無理やりその血液型の性格に自分を合わせちゃう人がたまにいますが、それは止めましょう。無理は続きません。それがストレスになって壊れる人もいるからね。

具体例として適切かどうか分からないけど、よく芸能界のアイドルで、本当は暗いのに、いつもニコニコしてる人がいるじゃない。
「いつも笑顔で!いつもスマイル!」みたいな子が。

もちろん、仕事だから分かるけど、どう見ても不自然な人がたまにいるよね。で、だいたい精神に異常を来して辞めて行く。芸能界に限らず無理を続けることは良くない。

基本的には自分の心に素直になって
・喜怒哀楽をちゃんと出すこと。
・仕事以外では自分の気持ちに正直になること。
・仕事でもできないことはできないと言うこと。協力して欲しいことは協力して欲しいと言うこと。
・ちゃんと休むこと。
・無理をしないこと。
・プライベートでは嫌いな奴とは付き合わないこと。

この6つは心掛けた方がいいと思います。なんか急に話が浅くなったな(笑)

話を戻すね。
また、人間関係で一番大切なことは「思いやり」ですよね。人間というのはお互いの足りない部分を補いながら生きています。一人で生きている人間などいやしません。詰まる所、生きるということは助け合いであり補い合いです。読書という間接的な経験を通して他者の思考や人生観を擬似経験できれば想像力の幅は桁違いに広がります。
社会というのは他者貢献が根本にありますよね。全ての民間企業にしても公務員にしても他者の幸せに奉仕することが中核です。奉仕するためにはいろんな人達の気持ちを想像することが必然です。本を読むということは多くの人に出会うこととでもありますからね。だから「思いやり」を醸成するためにも読書は最適なのです。

ちなみに、自己中が嫌われるのは、他者貢献という社会の根本規範に反するからです。だから、自分勝手というのはダメなんです。社会はそんな人間を容認するように出来ていないから。

「漫画でもいいじゃん!」という人もいますが、本の方が情報量が多くて費用対効果も良いし収穫も桁外れです。
また、漫画というのは基本的に非現実を売りにしています。みなさんの生きる世界は現実の世界ですからね。パラレルに展開できる本の方が何かと有意義です。

また、読書にはあらゆる言葉を修得できるという利点もあります。
人間はお互いを言葉によって理解し合いますからね。言葉によっていろんな情報交換をすることで社会は成り立っています。言わば、言葉というのは世の中の根幹です。そういう面からも読書というのはいい。

そして、読書すれば騙されなくなるという利点もあります。人間社会においては、みなさんの価値は周りが所有している情報によって決めらます。みなさんがこれまで発した言動の総体によりみなさんの評価が定立しているわけです。
つまり、みなさんは社会が所有する情報によってみ社会的な存在としてこの世に認識され、存在しているわけです。

ゆえに、自己に関する情報を自分でコントロールできないと社会の中における自分自身の存立基盤が揺らいでしまいます。本来の自分とはまったく違った存在として社会から認知されてしまうことになりかねません。芸能人のゴシップ情報なんてまさにその好例ですよね。マスコミの嘘情報によりタレントの虚像が構築され、不利益を被るなんてことは日常茶飯事です。
ですから、自分に関する情報を主体的にコントロールすることは、自分自身の人格的独立そのものであり、人格的生存にとって不可欠ということになります。故に、自分でその情報の価値をきちんと選別できるようにしておかなければならないわけです。

もちろん、正しい情報を選別するためには正しい基準が必要ですよね。その正しい基準たり得るのが古典と言われる名著に他なりません。自分の中に名著から得た正しい基準が構築されていれば、巷に溢れる膨大な嘘情報から正しい情報のみを選別することができるようになります。正しい基準があるから正しい選別ができるのです。正しくない基準があるから正しくない情報を選別してしまうわけですからね。

マスコミや国家機関の膨大な嘘情報に不利益を強いられるのは、常に情報の受け手たる大衆(弱者)です。それはもう史実が物語っています。マスコミにしたって、今は反権力ではなく権力そのものですから。ですから、私達はそんな国家機関やマスゴミから発せられる膨大な嘘情報に騙されないようにすることが肝心ですよね。こういう面からも読書というのはいい。

最後に、みなさんも実感しているようや、人間は未知のことに対して不安や恐れを抱くものです。読書という間接的な経験があれば、その不安や恐れは軽減されます。知っていれば余裕が生まれますからね。また、知っていることで対処もしやすい。
生きる上で一番大切なことは「心の安定」です。読書というのは、その「心の安定」にも寄与してくれる優れたツールにもなります。

以上が【本を読む理由】です。

【本の選び方】Part2

次に「本の選び方」について記述したいと思います。

「本の選び方」は、まず自分の好きな本から読むのが正しい選択の仕方です。

本屋に行って、自分が「面白そうだな」と思った本からどんどん買って読み進めて行くと良いと思います。

それを繰り返している内に、本の選び方はどんどん洗練されていって、良書と悪書の見分け方が自然と身に付くようになります。本屋さんは敷居が高いというイメージがありますが、置いてあるほとんどの本はゴミだということも分かるはずです。

私個人は、読みたいと思った本は全て購入しています。何度も繰り返し読む古典は購入する方が賢明です。そして、どんどん本に書き込んでいくことですね。

そして、とにかくあらゆる分野の書物を乱読しましょう。もちろん、自身の専門に特化するのは必然ですが、この世が複雑社会である以上、多様な分野の読書をした方が賢明です。全ては繋がっていますからね。

【群盲象を評す】という諺があります。

例えば、目の見えない人が象の長い鼻を触り象が何かわかったと思ったとします。象とは長い胴体を持った生き物だと分かったと考えたとします。ですが、この「わかった」内容は正しいでしょうか?正しくないですよね?だから、この人は象をさらに触るなどして、この長いと思ったものが真に胴体なのかを確かめる必要があります。その結果、最初に「わかった」内容が実は誤りであることをさらにわかる、ということになりますよね。その繰り返しで、自分の「わかった」を真に正しい内容へと高めていくことができます。

全ては繋がっているんです。

象の鼻、胴体、4本の足、肌触り、鳴き声、匂い等々を総合して、やっと象だと理解するわけですよね。

法律の勉強をしたいからと言って、モンテスキューだけをやればいいというものではない。

経済の勉強をしたいからと言って、マックスヴェーバーやアダムスミスやケインズのだけをやればいいというものではない。

経営の勉強をしたいからと言って、ドラッカーやテイラーやバーナードやマグレガーやプラハラードだけをやればいいというものではない。

文学の勉強をしたいからと言って、日本や世界の文豪のみの勉強だけをすればいいというものではない。

心理学にしたってユングフロイトのみをやればいいというものではない。

歴史も同様。

理系だってちゃんと文系の勉強をしなきゃダメだからね。

あらゆる分野を比較することで特徴が際立ち、より深い理解が叶うわけですから。

また、基準が異なれば正しさの評価もまた異なります。自身の専門のみ勉強していたら、その他の分野への応用が効きません。他分野の知識があれば、それがトリガーとなって、その問題と有機的に連関させることができて正答率をアップさせることができますからね。

ですから、なるべく多様な分野の本を読むことが大事です。

【古典を読もう】Part3

前回の記事で好きな本からスタートすべきだと書きましたが、本来みなさんが読むべき本は古典です。古文のことじゃないよ(笑)

古典というのは長い年月を経て淘汰された上で、研究者や評論家に本物だとだと認められ残存している書物のことを言います。何度も歴史の篩にかけられそれでも本物だと認められ残ってきた書物のことですね。
要するに、古典と言うのは誰もが認める正しい情報ということ。言うなれば真理の結晶ですね。

人生は決断の連続です。ですが、未来のことなど誰にも分かりゃしません。ですが、読書を通して過去の偉大なる先人達の知識思考を拝借することで、高い確率で正しい判断ができるようになります。なんせ古典というのは真理の結晶なのですから。

正しい決断をするためには正しい情報のインプットが必要です。正しくない情報のインプットからは正しくないアウトプットしかできません。その正しい情報を記している本が古典ということですね。

そして、古典で絶対的に読むべきなのは文学書と哲学書と歴史書です。

文学書は、矛盾だらけで理不尽な人間の本質というものがよく分かるようになります。「日本文学全集」や「世界文学全集」に掲載されている文学書を乱読しましょう。

そして次に哲学書ですが、これは論理的思考を身に付けるのにすごく役に立ちます。社会人の仕事は説得の連続です。相手を説得するには論理的に話さなければなりません。でないと、相手は納得しないからです。
言っていることの分からない相手を信用して契約しようなんて誰も思いませんからね。

哲学書のその他のメリットとしては、考える力が身に付くというのがあります。「考える」とは「物事の本質を追求すること」です。この定義は哲学の定義にそのまま当てはまります。哲学書には、物事の本質を見極める眼力を養うことができるというメリットがある。以上の理由から哲学書を読むことをお勧めします。

そして、歴史書を読む意義は失敗する可能性を最小限に抑えることができるということです。
「歴史に学ぶ」「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」とよく言いますよね。人間というのは、基本的に同じ失敗を繰り返す愚鈍な生き物です。故に、失敗をしないために学ぶのが歴史だということ。失敗することで限りある時間を無駄している場合じゃないし、取り返しのつかない失敗をしている場合でもありません。また先人の崇高な生き様を感得できるってのも生きた力になります。だから歴史書は読んだ方がいいのです。

場合分けするならば、

・文学書というのは
「偉大なる精神の塊であり、矛盾に満ちた人間の繊細な心模様を緻密に記した書物」のこと。

・哲学書というのは
「物事の本質を追求した壮絶なる思考の産物」のこと。

・歴史書というのは
「極めて情報確度の高い先人の生きる知恵」のこと。

個人的には、この3つの分野の本は読んでほしいですね。いや、読むべきです。読まないなんて人生の損失でしょう。

まあ、こんな小理屈なんてどうでもいいからいっぱい本を読みましょう!

民間志望の学生は4年間で最低2000冊の本を読むこと。それだけ読めばどこでも就職できます。

司会国1志望の学生は合格後に膨大な本を読みましょう。受験期間中は本を読んでる時間なんてないもんね。

中央図書館の蔵書の質と量は全大学トップクラスです!

本はどんどんガンガンもりもり読みましょう!♫ヽ(^。^)ノ

頑張れ!中大!( ^^)人(^^ )

【本の読み方】Part4

本というのは基本的に批判的に読みましょう。全てを鵜呑みにしないこと。古典といっても正しい確率が高いというだけです。完璧ではありません。完璧でない情報を鵜呑みにする方がおかしいですよね。
では、なぜ完璧でないのかというと、本というのは完璧でない人間の思考と想像力が具現化した産物だからです。ですから、批判的に読むことが大事なんです。

批判的に読むということは自ら考えるということ。人間に生まれた以上、自ら考えることを放棄してはいけません。楽をすれば【騙される・つけ込まれる】ってことで返ってきます。何でもかんでも無節操に他者の言説を信用して手酷い目に遭った人なんてごまんといます。身近な例では新興宗教や悪人に騙されて人生が破滅したなんて人は後を絶ちませんよね。純粋真っ直ぐ君ではダメ。著者に対する信用と懐疑を併存させながら読むこと。

で、よく「自分の批判なんて大したことないんだから、批判的に読んだ所で意味はないんじゃないか?自分が考えて出した結論なんて過去の偉人はもうすでに考えてるんじゃないか?」と、思う学生もいますが、それでも批判的に読むことが真です。

大事なのは結論に至る過程です。結論として偉人の解答に至ったとしても、そこに至る過程はその偉人とみなさんとでは違います。その考えるという過程は、言わばみなさんのオリジナルになるわけですね。100m走でのそれぞれのレース内容は一つ一つが貴重であるということ。自らの力で結論に至ることができるというのは、みなさんがオリジナルで考えたからですよね。オリジナルで考えるからこそみなさんの思考は磨かれるわけです。自分で考えることの過程自体が大事ということ。そして、そのオリジナルの思考過程を経た者だけが未踏の結論へと辿り着ける。過去の偉人の結論の先に未知の結論があります。既知の結論をオリジナルの力で得ることすら出来ない人間が未知の結論など導くことはできない。批判的に読むということは未知の結論へ至るための過程です。

だから、本は批判的に読むことが大事なのです。

もちろん、この記事も批判的に読んで下さいね。俺の思考なんて大したことないんだから(笑)ヽ(^。^)ノ

P.S
それにしても、何とか学生に本をいっぱい読ませる方法はないかなぁ。

とにかく学生に本を読ませたい。いかに、速く、効率的かつ効果的に読んでもらうことができるかをちょっと考えてみました。

文章力を磨いたり、課題図書の古典について専門性を身に付けるのはゼミだけでいい。

既述の通り、大学4年間の講義は全て教養課程にし、あらゆる学問分野の触り(核心)を面白く教えるだけでいい。

そして、とにかく大事なことは学生達に本を読ませること。
何とかタブレット端末で、大学が指定した本を読ませることができないだろうか。
タブレット端末はとにかく持ち運びに便利だし、場所を選ばないし、すぐに調べることができて時間の節約になるし、何千冊もの本を常に携帯できる。

中央図書館の本もいちいち貸し出しから帰ってくるまでの時間を省ける。待つのは時間の無駄だ。

中大が指定する大学4年の春までに読むべき2000冊の本を、どうにかタブレット端末で読めるようにして欲しい。
はっきり言って、レポートなんて書く必要ない。読むことが大事だし、文章を書く訓練はゼミのみでやればいい。大学の試験なども必要ない。ちゃんと出席して、真面目に講義を聴いていた学生のみ、出席を取り、単位を付与すればいい。
とにかく、テストやレポート提出なんかで文章を書かせるより、膨大な本を貪るように読ませることの方が大事だ。

だが、レポートを提出しないと読んだ証拠とならないのがネックなんだよな。

タブレット端末で間違いなく読んだという証拠を確認することはできないのだろうか?

例えば、1ページずつの読んだ証拠が分かるアプリとかってないのかな?何秒間そのページに留まったら、カウントされるとか。でもこれやったら、速読できる人や斜め読みできる人はスピードが違うから、それができない人とは処理能力が違う。
読むスピードが平均より速すぎて、読んだことになってないと判断されるかもしれないしね。

とにかく、タブレット端末で中大の指定する本を読めるようにして欲しいね。読んだという証拠が分かるアプリなり、その他、証拠を残すのに有用な機能があるタブレット端末でもあれば最高なのになぁ。