中央大学から世界へ!の日記

人間は己の才能を活かし、役割を果たすために生まれてきた。 世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのかと問うてはならない。 ひたすら進め。

文藝春秋で三島由紀夫に対する石原慎太郎と平野啓一郎の論考を読んで。

三島由紀夫没後50年ってことで、あの割腹自決に関する知識人の論考かまびすしい。正論にもあったな。

俺は三島文学のファンではないけど、国家に対する三島の論考や卓見や警句が好きで、文学以外の著述をよく読んでいました。

あの割腹自殺に関する三島評は石原慎太郎の論考が概ね正しいと思う。文壇で三島と才能の交流をし、時代を共にした文士は数多くいたと思うけど、楽屋話を気兼ねなく公表できる作家は石原くらいだもんね。

三島の割腹自殺の本意は、戦後の日本に対する警鐘だと思う。

日本が戦争に負けたことで自信を失い、あてがいぶちの憲法を後生大事にし、アメリカの保護下により独立自尊の精神を失った情けない日本人。金だけ持ったバカな国と世界中から嘲笑されようと経済発展に邁進したことにより生命至上主義に堕してしまう。命よりも大切なものへの価値が磨滅してしまった日本人に対する憂い、虚無感、寂寞たる思い。

そんな当時の日本人に対し、大義という命以上の価値を喚起させるため、日本人の本源たる魂を呼び起こすために割腹自殺を断行した。

というのが俺の考察だったけど、石原の見解も三島に関する資料を読んでるとよく解る。

三島は戦争へ行かず生き残ってしまったことへの劣等感、虚弱体質、怯懦な自分、高い美意識から来る加齢による心身の醜悪化への拒絶反応。その他諸々、後ろ向きな理由がない交ぜになったことで、あの事件へと繋がったのではないかとも思う。

紙媒体でどんなに秀逸な論評をしようとも実践が伴わないと意味も説得力もない。

追い詰められ、自身のナルシシズムから出ずる理念を達成するためにはああするしかなかったという石原の意見にも首肯できる部分は多い。

当時は三島という作家がバカな凶行をやったみたいに言われてたらしいけど、

『じゃあ、アンタは三島のように自衛隊駐屯地で演説をぶって割腹自殺する覚悟はあんの?』

と詰問されれば『できない』って答える人や口篭る人がほとんどだろうね。頑健屈強な格闘のチャンピオンや金メダリストでも躊躇する人がほとんどだろう。

石原は『日本を立て直したいなら国政に出て行動で実践すべきだった』

と批判していたけど、YouTubeで三島の講演や対談を聞く限り、三島は演説もしゃべりも苦手だ。これは三島も自認している。民主国家は大衆の魂を揺さぶり共振させるスピーチの技術が絶対的に必要。これはどんなに頭が良くても努力でなんとかなるものではないからね。努力したからといって田中角栄橋下徹石原慎太郎小泉純一郎田中眞紀子ヒトラーのようになれるかといったら、なれないもの。

じゃあ、その他の手段で大衆の魂に訴えかける劇的なパフォーマンス?怪演?スタンドプレー?(ボキャ貧だから適切な日本語が思い浮かばない)で、戦後民主主義により心身共に弛緩しきった日本人の魂を奮い立たせ、大義の精神を打ち込むためにはどうしたらいいのか。

と考えた末の結論が、あの凶行だったんじゃないかとも思う。

『ずっと現実を受け入れられず虚飾に生きた人』との石原の弁もあったけど、それも一理あるだろな。なんでもかんでも三島は崇高すぎたし。

まあ、人間は恐ろしく複雑だし、とりわけ三島の性格は複雑怪奇だからね。憶断したところでたかが知れている。

余事だが、文筆家としての三島と石原は月とスッポン。ライバルなんて言われているけど、あれはマスコミがそう仕立てた方が文壇の知名度アップにつながるからああしただけ。石原文学は駄作ばかり。こんなに注目される方がおかしい。

平野啓一郎もおもんないなー。

 

追伸:現在、西法太郎の『三島由紀夫事件 50年目の証言』を読んどる😊