「弁護士は5者であれ」という教えといいますか、弁護士の姿勢を示す言葉を私は大事にしています。これは、ある弁護士の方から教えていただいたのですが、5役をこなせということです。
5役とは、1に医者、2に学者、3に易者、4に役者、5に芸者です。
1の医者は、相談者の方が何に困っているのかを診断しなければならないということです。
2の学者は、よりよい弁護のために日々勉強をしなければならないことから、
3の易者は、相談者の方の抱えている問題をふまえて、将来の見通しを立てる必要があることからです。そして、
4の役者は、法廷や記者会見などの場で、当事者の方の想いを汲み取って怒りを表したりと、気持ちを代弁することが求められることから、
5の芸者は、弁護士もプロとしての仕事であって、ボランティアではありませんので、依頼者の方との適切な距離感や緊張感を失わないためにも、報酬を介在にした関係であるということです。
私は、この言葉を大事にして、不安や悩みを抱えている人たちととことん一緒になって悩んで考え抜く弁護士でありたいと思っています。
3と5が何か違う気がする。
解釈が強引な気が…(笑)
座右の銘は、あった方がいいのか、ない方がいいのか。
あれば指標を見失わないけど、融通が利かなくなる。
なければ柔軟に対応できるけど、指標を見失いやすい。
どっちが正しいんだろ。
俺はどっちかと言えば、指標を持ってる方だと思う。無宗教だしね。やはり柱があると迷うことが少ないから。
その指標と言うのは、苦しんで苦しんで俺の魂から搾り出した答えのみが指標たり得る。
ゴミのような本の一節や、クソ坊主の説法
や法話なんて柱になんかならない。スピリチュアリストの言説も同様。無論、苦労知らずの大学教授の講話の一説なんかも参考にならん。ごく一部の本物の学者の考察は参考になるけど。
生きていく上で高度な理論理屈なんて本来的に必要ないからね。魂で感じること。こっちの方がよほど大事だ。
大学というのは、論理、理屈、屁理屈の世界だ。
魂で感じること。心で感じること。
人間の本源的感性を無くしたらあかんで!