中央大学から世界へ!の日記

人間は己の才能を活かし、役割を果たすために生まれてきた。 世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのかと問うてはならない。 ひたすら進め。

中央大学が国立大学みたいだと言われる理由

 

この2つの記事に付加。論理整合とるのが疲れるのでみなさんで解釈して下さい。読めば言いたいことは解るはずです。ものぐさですまんね♪

https://chuouniversity.hatenablog.com/entry/2018/09/16/072818

https://chuouniversity.hatenablog.com/entry/2018/09/14/234949

国公立大学には、特定の創立者がいないので学校の理念というものはない。文科省の指導要領に従ってカリキュラムが組まれているだけだから、創立者の思想理念が教育に反映されるということがない。そこに、個人の創立者というものが存在しないからだ。

ゆえに、国公立大学は、個人の創立者が欠けている分、どれだけ高邁な思想理念を憲章化した所で、どうしても寄せ集めの信条だという印象が残ってしまう。だから、思想理念をどれだけ熱く憲章化した所で学生や教員に影響を与えることができないわけだ。

中央大学が国立大学のようだと言われる理由は、まさにここにある。だって国立大学と創立の沿革がよく似てるんだから。

強烈な思想理念のない東大で教育を受けた18人の法律家が作った大学なんだもん。その上、メンターが1人でなく18人もいる。だから、余計に明確な思想理念を共有できないから中央大学は国立大学みたいだと言われちゃうんだよね。

だから、中央大学に進学できるのは附属校のみにするってことが何より肝要になるわけだ。

強烈な理念を共有してもらうためには、全附属校化が絶対だ。

強烈な理念の共有には、この記事に書いた

https://ameblo.jp/rtyuiopkjhgfd/entry-12344284544.html

【ロイヤリスト】

なんて最高だと思う。

そして、メンターを1人にし、強烈な思想理念を共有する生徒達を育てるためには、自分は最高の友人と共に最高の学舎で過ごし、最高の指導者から最高の教育を受けたんだという自信を涵養することが何より大切なことなんだ。

また、指導者たるものは、人間は一人ひとりにその人らしい使命を与えられて生まれてきている。このことを生徒達に気付かせ、それをどう活かせば自己実現でき、その上、どうすれば社会貢献ができるかを日々の教育によって魂に打ち込んでいかなければならない。

そうすることで、生徒達に知覚・思考・行為を生み出す性向が醸成され、中大関係者の全てが人間愛に根ざした言動を慣性(ならいせい)とすることができるようになる。教訓というレベルでなく、中大附属という学舎で日常生活を送ることでそれが自然な慣性になっていく。中大附属はこのような生徒達を育てることが肝心なんだ。

大学作りは人作り。チーム作りは人間作りだからね。

そして、母校愛以外で、難関私大が難関国立大に勝てるのは卒業生の数だ。だから、このアドバンテージを活かすためにも全附属校化はとてつもなく意味がある。

卒業生の数を有効に活かすためにも重要なのは、卒業生の強い同窓意識から来る愛校心と団結力の醸成だ。この観点からも全附属校化はたいへんに有効だ。

母校愛と卒業生の数で勝ちにいくこと。

これが、中央大学が最も短期かつ効率的かつ効果的に、日本一・世界一の大学へと躍進する方法であると個人的には考えます。

いや、これ以外にねーだろ(笑)