中央大学から世界へ!の日記

人間は己の才能を活かし、役割を果たすために生まれてきた。 世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのかと問うてはならない。 ひたすら進め。

33:俺の戦略

 

【古典を読もう】Part3
前回の記事で好きな本からスタートすべきだと書きましたが、本来みなさんが読むべき本は古典です。古文のことじゃないよ(笑)

古典というのは長い年月を経て淘汰された上で、研究者や評論家に本物だとだと認められ残存している書物のことを言います。何度も歴史の篩にかけられそれでも本物だと認められ残ってきた書物のことですね。
要するに、古典と言うのは誰もが認める正しい情報ということ。言うなれば真理の結晶ですね。

人生は決断の連続です。ですが、未来のことなど誰にも分かりゃしません。ですが、読書を通して過去の偉大なる先人達の知識思考を拝借することで、高い確率で正しい判断ができるようになります。なんせ古典というのは真理の結晶なのですから。

正しい決断をするためには正しい情報のインプットが必要です。正しくない情報のインプットからは正しくないアウトプットしかできません。その正しい情報を記している本が古典ということですね。

そして、古典で絶対的に読むべきなのは文学書と哲学書と歴史書です。

文学書は、矛盾だらけで理不尽な人間の本質というものがよく分かるようになります。「日本文学全集」や「世界文学全集」に掲載されている文学書を乱読しましょう。

そして次に哲学書ですが、これは論理的思考を身に付けるのにすごく役に立ちます。社会人の仕事は説得の連続です。相手を説得するには論理的に話さなければなりません。でないと、相手は納得しないからです。
言っていることの分からない相手を信用して契約しようなんて誰も思いませんからね。

哲学書のその他のメリットとしては、考える力が身に付くというのがあります。「考える」とは「物事の本質を追求すること」です。この定義は哲学の定義にそのまま当てはまります。哲学書には、物事の本質を見極める眼力を養うことができるというメリットがある。以上の理由から哲学書を読むことをお勧めします。

そして、歴史書を読む意義は失敗する可能性を最小限に抑えることができるということです。
「歴史に学ぶ」「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」とよく言いますよね。人間というのは、基本的に同じ失敗を繰り返す愚鈍な生き物です。故に、失敗をしないために学ぶのが歴史だということ。失敗することで限りある時間を無駄している場合じゃないし、取り返しのつかない失敗をしている場合でもありません。また先人の崇高な生き様を感得できるってのも生きた力になります。だから歴史書は読んだ方がいいのです。

場合分けするならば、

・文学書というのは
「偉大なる精神の塊であり、矛盾に満ちた人間の繊細な心模様を緻密に記した書物」のこと。

・哲学書というのは
「物事の本質を追求した壮絶なる思考の産物」のこと。

・歴史書というのは
「極めて情報確度の高い先人の生きる知恵」のこと。

個人的には、この3つの分野の本は読んでほしいですね。いや、読むべきです。読まないなんて人生の損失でしょう。

まあ、こんな小理屈なんてどうでもいいからいっぱい本を読みましょう!

民間志望の学生は4年間で最低2000冊の本を読むこと。それだけ読めばどこでも就職できます。

司会国1志望の学生は合格後に膨大な本を読みましょう。受験期間中は本を読んでる時間なんてないもんね。

中央図書館の蔵書の質と量は全大学トップクラスです!

本はどんどんガンガンもりもり読みましょう!♫ヽ(^。^)ノ

頑張れ!中大!( ^^)人(^^ )
【本の読み方】Part4
本というのは基本的に批判的に読みましょう。全てを鵜呑みにしないこと。古典といっても正しい確率が高いというだけです。完璧ではありません。完璧でない情報を鵜呑みにする方がおかしいですよね。
では、なぜ完璧でないのかというと、本というのは完璧でない人間の思考と想像力が具現化した産物だからです。ですから、批判的に読むことが大事なんです。

批判的に読むということは自ら考えるということ。人間に生まれた以上、自ら考えることを放棄してはいけません。楽をすれば【騙される・つけ込まれる】ってことで返ってきます。何でもかんでも無節操に他者の言説を信用して手酷い目に遭った人なんてごまんといます。身近な例では新興宗教や悪人に騙されて人生が破滅したなんて人は後を絶ちませんよね。純粋真っ直ぐ君ではダメ。著者に対する信用と懐疑を併存させながら読むこと。

で、よく「自分の批判なんて大したことないんだから、批判的に読んだ所で意味はないんじゃないか?自分が考えて出した結論なんて過去の偉人はもうすでに考えてるんじゃないか?」と、思う学生もいますが、それでも批判的に読むことが真です。

大事なのは結論に至る過程です。結論として偉人の解答に至ったとしても、そこに至る過程はその偉人とみなさんとでは違います。その考えるという過程は、言わばみなさんのオリジナルになるわけですね。100m走でのそれぞれのレース内容は一つ一つが貴重であるということ。自らの力で結論に至ることができるというのは、みなさんがオリジナルで考えたからですよね。オリジナルで考えるからこそみなさんの思考は磨かれるわけです。自分で考えることの過程自体が大事ということ。そして、そのオリジナルの思考過程を経た者だけが未踏の結論へと辿り着ける。過去の偉人の結論の先に未知の結論があります。既知の結論をオリジナルの力で得ることすら出来ない人間が未知の結論など導くことはできない。批判的に読むということは未知の結論へ至るための過程です。

だから、本は批判的に読むことが大事なのです。

もちろん、この記事も批判的に読んで下さいね。俺の思考なんて大したことないんだから(笑)ヽ(^。^)ノ

P.S
それにしても、何とか学生に本をいっぱい読ませる方法はないかなぁ。

とにかく学生に本を読ませたい。いかに、速く、効率的かつ効果的に読んでもらうことができるかをちょっと考えてみました。

文章力を磨いたり、課題図書の古典について専門性を身に付けるのはゼミだけでいい。

既述の通り、大学4年間の講義は全て教養課程にし、あらゆる学問分野の触り(核心)を面白く教えるだけでいい。

そして、とにかく大事なことは学生達に本を読ませること。
何とかタブレット端末で、大学が指定した本を読ませることができないだろうか。
タブレット端末はとにかく持ち運びに便利だし、場所を選ばないし、すぐに調べることができて時間の節約になるし、何千冊もの本を常に携帯できる。

中央図書館の本もいちいち貸し出しから帰ってくるまでの時間を省ける。待つのは時間の無駄だ。

中大が指定する大学4年の春までに読むべき2000冊の本を、どうにかタブレット端末で読めるようにして欲しい。
はっきり言って、レポートなんて書く必要ない。読むことが大事だし、文章を書く訓練はゼミのみでやればいい。大学の試験なども必要ない。ちゃんと出席して、真面目に講義を聴いていた学生のみ、出席を取り、単位を付与すればいい。
とにかく、テストやレポート提出なんかで文章を書かせるより、膨大な本を貪るように読ませることの方が大事だ。

だが、レポートを提出しないと読んだ証拠とならないのがネックなんだよな。

タブレット端末で間違いなく読んだという証拠を確認することはできないのだろうか?

例えば、1ページずつの読んだ証拠が分かるアプリとかってないのかな?何秒間そのページに留まったら、カウントされるとか。でもこれやったら、速読できる人や斜め読みできる人はスピードが違うから、それができない人とは処理能力が違う。
読むスピードが平均より速すぎて、読んだことになってないと判断されるかもしれないしね。

とにかく、タブレット端末で中大の指定する本を読めるようにして欲しいね。読んだという証拠が分かるアプリなり、その他、証拠を残すのに有用な機能があるタブレット端末でもあれば最高なのになぁ。

コーヒータイムおしまい。
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