中央大学から世界へ!の日記

人間は己の才能を活かし、役割を果たすために生まれてきた。 世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのかと問うてはならない。 ひたすら進め。

31:俺の戦略

 

あとは体育会系のスポーツマンは、就職が良い傾向があります。体力があり、理不尽な縦社会も経験しているから、ストレス耐性も強いと思われるのがその原因だと思います。

サラリーマンでも公務員でもチームで働くのが苦手な人は、個人事業で成功する道を在学中から考えておきましょう。

補足だけど、哲学というのは解釈の学問だったよね。あらゆる事象を総合的に解釈し、理論構築をして説得的な結論を下す学問だと記憶しています。この解釈というのは法律にもつながる。司法試験は解釈と説得の試験だからね。通じる所が多いから哲学科の学生は司法試験にチャレンジするのもアリでしょう。哲学科の弁護士は法曹界にけっこういますからね。中大文学部から弁護士になったOGがいます。

哲学・国文・英文・独文、仏文・中文・日本史・東洋史西洋史の学生は、教師にならないのであれば、何かアピールできる付加価値を在学中につけることだ。プラチナ資格を取るとか、厳しいスポーツを最後までやり切ったとか。ポスドクも厳しいだろうからね。

とにかく、みなさんが専攻する学科と社会のニーズと、みなさんの得意分野を総合考慮して答えを出すことが正解だと思います。
大したことを書けませんでしたが、とにかく自分の適性をよく知って、早くから準備をすることですね。

あと、文学部に入学するくらいなら読書や物書きが好きなんだろうから、在学中から芥川賞直木賞を初めとした文芸大賞にどんどん応募すること。白門文学(英吉利文学の方がカッコいいな)なるものがあるかどうか知らんが、読書家や物書きの間で白門文学が一目置かれるようになるには、中大出身者が多数の文芸大賞を受賞するしかない。頑張ってくれ!

まかり間違っても、水嶋ヒロのカゲロウのような恥ずかしい本は止めてね(笑)

さらに補足だけど、文学部に芸術系の「美術、演劇、映画、音楽」などの学科を新設しても面白いかもしれない。
理工のデザイン系学科と共に中央に足りないクリエイターを育てる学科を新設するのはどうだろうか。中大に欠けているクリエイターを育てる学科が欲しいよね。文芸学部にしようという案があったが、学部名が安っぽくなるのでそれはダメ。

中大は立地の性質上、学生文化があまり育たないせいか文化的発信が弱い。
だから、学生文化を育てるためにも芸術系の学科を新設するのは良いと思う。
超大規模寮との相乗効果もあって、学生街や学生文化は発展していくでしょう。
行政や京王電鉄などの民間企業と協力して街づくりを進めれば魅力的な学生街になるよ。学生も多様化して活気がでるはずだ。

後楽園キャンパスでは、地下に「美術、演劇、映画、音楽」などの設備を作ってあげたらいい。あらゆる可能性がある都心キャンパスでその芸術的才能を存分に発揮して欲しいね。

ホグワーツでは、多摩美術大学東京造形大学、武蔵野美術大学との交流も活発になるだろう。
後楽園キャンパスでは、女子美術大学日芸などとの交流が活発になるだろう。東京芸術大学との交流も活発にしたいね。

さらにさらに補足だが、文学部はその他のMARCHとの併願対決で劣勢に立たされている。その理由は、文学部はミッション系の方が華があるからだ。
だから、ダブル合格で立教、青学に流れるのだろう。これで多摩キャンパスがホグワーツだったら、また大分違って来るだろう。上京する女子学生は、いまだに東京は怖いというイメージを持っている。その東京で過ごす大学がホグワーツだったら怖いイメージも軽減されるので、立教や青学に合格しても中央にしようと考える女子学生も出てくるでしょう。そういう面からもホグワーツへの改築はメリットがあります。

さらにさらにさらに補足だが、文学部の不人気学科は思い切って廃止することも考えて良いかもしれない。文学部の定員を他学部へ割り振ることも考えていい。どう見ても文学部は学問の性質上、就職が悪くならざるを得ない。実学と結びつかないので社会が求める人材と一線を画さざるを得ないからだ。

採算の合わない学科をいつまでも設置しておく意味も分からないし、その他の学部の不人気学科にしたってもっと柔軟性をもって学科を廃止したり、積極的に改組、再編するべきだ。

ちょっとここで2度目のコーヒータイム。

「大学生が一番やるべきことは本を読むこと」

と言われますよね。

どうしてそのように言われるのでしょうか?「本を読む意味」について、ちょっとアドバイスをしたいと思います。

その答えは、みなさんが実社会において多様な背景を持つ他人と共存しながら生きていかなければならないからです。

人間が存命中に経験できることなんてたかが知れていますよね。ですが、みなさんは社会生活を送る中で、自分が経験したことのない多様な背景をもつ多くの人達との出会いを繰り返しながら生きていかないといけません。たかが知れた経験しかない個人が、多様な経験を持つ多くの人達と関係性を築きながら生きていくのが人生ですよね。

ですから、自身の中に自身の経験により構築できないものをインプットしておく必要があるわけです。読書という間接的な経験を通して得た知性を内在させ自身の疑似経験を拡大させること。これが読書の意義です。

人間と言うのは知識と経験の集合体ですよね。今あるみなさんの人格を形成しているのは、みなさんがこれまでに経験を通して蓄積してきた産物によるものです。そして、その経験というのは全てに既知既存のものですよね。要するに、全ての人間を形成しているのは全てに他人から教わったものであり他人の真似事なのです。みなさんは生涯を通して真似事を磨き倒して行くことになります。人間というのは真似事の集合体なのですから、優れたものや高度で深遠なものを真似すれば人生は充実していきますよね。その優れた真似事を最も効率的かつ効果的に修得できるのが古典と言われる名著なのです。
ちょっと脱線するけど、人間なんて所詮は他人の知識や思想で構成されてるだけだからね。自分なんて全部他人の寄せ集め。それが人によって経験が様々だから個別のものになる。よく、個性が大事だのなんだと言うけど、寄せ集めなんだから個性なんてあるわけないからね。自分なんて他人の真似に過ぎないんから。「自分は個性的な人間だ!」なんて言ってる奴は、自分が全てパクリの産物だってことを知らないだけ。

ああ、もう分かっていると思うけど、血液型性格判断なんて何も関係ないからね。
人間は、生まれつきの性格も育った環境も見てきたものも知識や教養も全部違う。外国に至っては言葉も宗教も価値観もまるで違う。同じ人間なんて日本にも世界にも一人もいやしません。性格を4つのパターンに分類すること自体が異常だからね。

統計学というのは最低95%以上の合致で信憑性有りと認識されます。
血液型性格判断方法に95%以上の信憑性なんてないからね。

挙句の果てには、星座を足したり、親の血液型を考慮したり、都道府県で異なると宣ったり、兄弟姉妹の長子・中間子・末子で違うとか言ったり。

血液型性格判断なんて、もうウンコみたいな小理屈でさも真実めいた定説を脚色してるだけ。
学会でも満場一致で「血液型は性格に関係なし」と結論されています。

大学生にもなって血液型性格判断を妄信するなんてお里が知れるってもの。恥ずかしいから血液型の話はやめましょう。てか、もう日本人のほとんどが血液型の話には辟易しています。会話のきっかけなら良いという風潮ですが、それすらも止めた方が賢明です。

テレビを初めとしたマスコミがやたらと血液型を話題にしたがるのはお金儲けのため。
日本人は血液型の話題が好きでしょ?好きならテレビを見る人が多くなるでしょ?視聴率がアップするでしょ?テレビ局はお金がいっぱい儲かるでしょ?本や雑誌にしても同じ論理です。

大学生にもなってあんな恥ずかしい本は絶対に買わないこと。
㉜へ